常設展示物

名古屋大学博物館に常設展示されている標本・資料の紹介です。
実際に大学内で用いられた標本や、研究データ、大学教員等から寄贈いただいたコレクションなどの貴重な標本・資料です。

名古屋大学におけるノーベル賞研究コーナー

ノーベル賞を受賞した博士方の研究内容などを、パネルと実物でご紹介しています。

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機器類標本(T) 電子回折装置

「ナノテクノロジー」の先駆者 上田良二博士と電子回折装置

この装置は、1940年上田良二博士(当時、東京大学助手)の設計により、真空蒸着装置を組み込んだ反射電子回折装置として製作されました。
1942年、名古屋大学理学部の創設と同時に赴任した上田博士は、この装置で金属亜鉛の加熱後に付着する煤(すす)のような物質の「その場観察」に成功し、それが10ナノメートル(nm)以下の金属超微粒子であることをはじめて明らかにしました。上田博士は「オリジナルな研究にはオリジナルな装置が必要である」とし、名古屋大学理学部や工学部の工作室の充実に努め、その精神は今日の名古屋大学に受け継がれています。

ナノテクノロジーとは、ナノメートルオーダー(1nm = 10-6mm)のものを作って応用しようとする科学技術です。この装置は、現在の日本のナノテクノロジー競争力の優位性の歴史を物語っており、記念碑的な存在となっています。

電子回折装置

HU500と上田良二博士

現生動物標本(A) 骨格標本 純血木曽馬「第三春山号」

木曽馬の保存に貢献した「第三春山号」

木曽馬は、長野県と岐阜県飛騨地方を中心に飼育されている、本州で唯一の在来馬です。

木曽馬は足腰が強く、山間地の農耕馬として需要が高まり、1899年(明治32年)には6,823頭が飼育されていたという記録もあります。しかし、日中戦争から第二次大戦へと戦争が拡大するにつれ、軍馬生産のため、木曽馬と大型の外来馬を交配する施策が強行されました。1939年(昭和14年)制定の種馬統制法により、木曽馬の種雄馬はすべて去勢され、木曽馬は絶滅に追い込まれてしまったのです。

戦後に至り、木曽馬復活に向け、純血木曽雄馬が探し求められました。幸運にも、神馬であったため去勢を免れた「神明号」が八幡武水別神社(長野県)で発見され、純血木曽馬の雌馬「鹿山号」と交配されて、1951年(昭和26年)4月8日に「第三春山号」が生まれました。

第三春山号は、種雄馬として生育し、生涯に約700頭の子孫を残して木曽馬保存に貢献しました。1975年(昭和50年)1月、馬齢24歳(人間でいう70〜80歳くらい)のとき、老衰による骨軟化症や黄疸を発症していたため安楽死処分となり、名古屋大学農学部において学術解剖に付されました。

第三春山号の骨格は、研究用標本として、名古屋大学博物館に保管されることとなり、剥製標本は、木曽馬復元の標準典型とするため、長野県木曽郡開田村の郷土館に保存されています。

現生植物標本(B) 木曽の大ヒノキ

岐阜県加子母村から切り出された、木曽ヒノキの日本最大の輪切り標本です。
この大ヒノキは樹齢が約950年で直径が約2mあり、平安時代後期から昭和初期までの年輪を刻んでいます。このヒノキから名古屋大学年代測定総合研究センターが測った約800年間の炭素同位体の濃度は、炭素年代測定の指標として役立つ貴重なデータです。

岩石•鉱物系標本(G) 上麻生礫岩

この上麻生礫岩は、1970年に岐阜県七宗町上麻生の飛騨川河床にて発見されました。
礫岩(れきがん)とは、直径2mm以上の粒子「礫(れき)」が堆積して固まった堆積岩のことです。この礫岩はジュラ紀中頃(約1.7億年前)に海で堆積したものですが、礫として含まれている片麻岩は、発見当時、日本最古となる先カンブリア時代中頃(約21億年前)の年代を示すことが確認されました。その後の研究によって、この片麻岩と同じような年代の岩石が、朝鮮半島北部~中国東部に分布していることが明らかにされています。この礫岩は、日本列島とアジア大陸の地質学的な関係を解明するための重要な鍵だと言えます。

化石標本(F) 放散虫化石

放散虫は海に生息する動物性"プランクトン"の仲間で,地層中の放散虫化石は、その地層の年代を知る上で重要な化石(示準化石)です。
1970~1980年代に放散虫化石を岩石から取り出す方法が開発され、放散虫化石研究が盛んに行われました。その結果、世界各地の地層の精密な年代が分かるようになり、従来の地質学の常識を覆しました。
このような放散虫研究による地質学の急激な進歩は、"放散虫革命"と呼ばれています。

地図資料(M) 重力異常図

重力を多くの地点で測定し、重力異常(ある地点の重力のばらつき)の分布を地図にしたのが「重力異常図」です。
これは、日本や濃尾平野の地下がいろいろな密度の異なる岩石からなっていることを現しています。また重力異常図から、地下にある断層の分布なども読み取ることができます。
名古屋大学博物館には、これまでの約25年間の研究で蓄積された15万点の測定データが保管されています。

歴史資料・文書記録等(L) 人類を進化させた石器

名古屋大学の研究者がアフリカや中近東(西アジア)で行った考古学調査によって採取された石器資料などを展示し、人類の進化史に関わる研究について紹介しています。
アフリカの調査は、理学部と文学部の教員による「アフリカ大地溝帯学術調査団」によって1968 年に開始されました。その後、1989 年まで合計9 回の考古遺跡調査が東アフリカ(ケニアやタンザニア、ウガンダなど)において行われました。
西アジアの調査は、博物館の教員が関わる「パレオアジア文化史学」プロジェクトの一環として2016 年に開始され、現在も進行中です。ヨルダンにおいて、数万年前の遺跡の発掘が行われています。
人類進化史のほとんどは、日本列島に人類が定着する以前の時代です。本展示品は、海外調査を通して得られた人類共通の文化遺産といえるでしょう。

その他の資料 ムラージュ

ろうで作った人体や病気の模型は、ムラージュと呼ばれています。
ムラージュはカラー写真がなかった時代、医学の記録や教育のために役立ちました。
博物館には、かつて名古屋大学医学部で使われていた皮膚病のムラージュ標本が、500点近く収蔵されています。中には天然痘のように、今ではみることのできない伝染病の標本もあり、 医学史の貴重な資料となっています。