おうちで名大博物館

名古屋大学博物館の収蔵品(11)ツチクジラ全身骨格

(2021/03/18掲載)

クジラには口の中に歯を持つハクジラの仲間とヒゲ(くじらひげ)を持つヒゲクジラの仲間がいますが、ツチクジラはハクジラの仲間です。生まれた時は体長4.5メートルほどですが、成長すると雌は体長13メートル、雄は12メートルぐらいまで大きくなります。北太平洋に住んでおり、からだは灰色のものや茶色のもの、黒いものもいます。50年以上生きると考えられており、主に魚やイカ・タコを食べてくらしています。

このツチクジラ全身骨格標本は、千葉県の海岸にうちあげられた死体を骨格標本にしたものです。体長は約9メートルで、死因はわかっていません。死体を解体して皮や肉をできるだけとりのぞいた後、3年間ほど土に埋め、骨に付着している肉などを腐らせて骨格標本としました。薬品を使って漂白していないので、骨は茶色になっています。2012年の6月に名古屋大学博物館に寄贈されました。

海に囲まれた日本列島では、はるか昔から現代までずっとクジラを利用してきました。人々は縄文時代早期(約12000年前〜7000年前)には、すでにクジラを捕獲していたことがわかっています。ただし、縄文時代は小さな丸木舟を使っていたので、小型のイルカ類やゴンドウクジラ類しか捕ることができず、体長10メートルを超える大きなクジラは捕獲できませんでした。それでも、海岸に流れついた大きなクジラ(「寄りクジラ」と呼びます)を利用できることもありました。クジラの肉や脂は貴重な食料になり、骨を使っていろいろな道具が作られました。

その後、本州で古墳が作られている頃、北海道の北部から東部にかけての地域では、オホーツク文化の時代が始まります。オホーツク文化の人々は海で獲物を捕るための大きな舟やさまざまな技術を持ち、マッコウクジラやザトウクジラなどの大型クジラ(体長15〜20メートルほど)を捕ることができました。大きなクジラの骨が豊富に手に入るため、多くの道具がクジラの骨で作られました。

一方、本州では16世紀終わり頃に、集団で行う「突取捕鯨」(つきとりほげい:道具でクジラを突いて捕る方法)が愛知県で始まります。この方法が和歌山県の太地町に伝えられ、江戸時代になるとこれを改良した「網掛突取捕鯨」(あみかけつきとりほげい:クジラを網に追い込んでから突いて捕る方法)が開発されます。この技術はやがて九州北部や山口県・高知県など各地に伝えられ、本格的に大型クジラを対象に漁が行われるようになります。ツチクジラも江戸時代以降各地で捕獲され、その伝統は現代まで続いています。

新美倫子(初出:『文部科学教育通信』ジアース教育新社)


写真1 手前がツチクジラの全身骨格。奥に見えているのはマッコウクジラの椎骨と肋骨。

写真2 ツチクジラの左下顎骨。クジラの下顎骨は、かつては歯ブラシの柄の材料としてよく使われました。

写真3 ツチクジラの左下顎骨を上から見たところ。ツチクジラの下顎には前方に2ヶ所(左右合わせて4ヶ所)しか歯がはえていません。矢印は歯が抜けたあとの歯槽。

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