Ngerengere の石灰岩


◇偏光顕微鏡写真(その1):
向って左が one polar,右が cross polars で撮影された。
これは魚卵状石灰岩 (oolitic limestone) である。この種の石灰岩は,丸い“ooid”と呼ばれる 球状の粒が集まって形成される。しかし,同じ環境条件では,場合によっては,生物の殻や 岩石の破片などが混じっていることもある。それらは必ずしも粒状ではなく,細長いもの,あるいは, 扁平なものなどもある。しかし,それらの形にはあまり関係なく,まわりを囲んで,方解石の微粒結晶が その表面に付着し,次々と沈殿していく。
このとき,波浪の動きによって,サイズの淘汰作用が行われると ooid の大きさがそろった岩石ができる。 一方,そのような淘汰作用があまりなかった場合には,この試料のように,雑多な大きさの不ぞろいな 形をもった岩石ができあがる。


◇偏光顕微鏡写真(その2):
偏光顕微鏡による観察には,鉱物の光学的性質を利用して,それぞれの鉱物の特徴が識別できる 利点がある。そして,それによって,過去の環境を探る多くの手がかりが得られる。
この石灰岩では,それぞれの ooid の核になっている物質は次のようなものであることがわかる。 石英(きわめて角張った形のものがある),斜長石(polysynthetic twinning をしたもの), おそらく微斜長石(microcline),などである。
これらは,この石灰岩が形成される際に,その時に海浜を作っていた砂質物質であり,すなわち, そのときに陸域に露出していた岩石に由来するものである。その時に露出していたのは いかなる種類の岩石であろうか。
もし,火山岩が後背地に分布していたような場合には,斑状組織をもった岩片や帯状構造を示す斜長石があるはずで ある。古い時代にできた砂岩などが分布していたとすると,そこに由来する石英粒には 続成作用の過程でできた二次成長のあとがあり,場合によっては,dust ring が見られる。変成岩の 中にある石英には,波状消光するものが含まれることが多い。鉱物粒ではなくて,細粒の岩石が あればその一部が核になって残っていることが期待できる。などということを考えながら,顕微鏡 観察をつづける。この写真から想像されるこの石灰岩ができたときに後背地に広がっていたのは, 花崗岩質の基盤であったであろうと考えられる。





◇タンザニア東部の地質図:
赤い矢印はジュラ紀の 石灰岩が採取された Ngerengere である。首都のダレサラムからドドマを経て,西方へ延びる鉄道幹線が 敷かれている。その途中に Morogoro があるが,その位置はこの地図には示されていない。
タンザニア東部の地質は,おおよそ,次のような構成からなる。古い基盤岩類とそれを 覆う先カンブリア代の堆積岩類はアフリカ大陸をつくるいわゆる剛塊である。それらは,その後,長い間, 安定した大陸として存在していたらしい。このような古い安定した大きな地塊は,現在,世界の大陸をつくっている 各地にその存在が認められている。プレート・テクトニクスが認められるようになって,大陸の離合集散が 頻繁に論じられるようになった。よく知られているのは古生代の Pangaea 大陸(約3億年前)である。しかし, それよりも以前,10億年前に想定されている超大陸もあった。それは Rodinia 大陸と名づけられている もので,アフリカ大陸の剛塊が Rodinia 大陸の一部を構成していた可能性は高い。
このような基盤(basement complex) の上に,タンザニアの東部では,中生代になって,海進があり地層が 形成されていった。ジュラ紀,白亜紀,そして,第三紀の地層が順に西から東に分布しているが, これは,タンザニアの基盤岩類がこの期間にわたって,ゆっくり上昇していったことを暗示している。
上の偏光顕微鏡写真の項で述べた ooid の核をつくる鉱物粒の性質から類推した供給地について,再び, 考えてみよう。後背地にあったと想像されるのは,とりもなおさずここで言う basement complex の基盤岩類に ほかならないであろう。その基盤岩類が風化されて運ばれたものが海浜をつくっていた。そして,ジュラ紀の 環境条件が,石灰岩の形成に好都合であったため,その海浜の砂粒を核にして,魚卵状石灰岩をつくっていった のであろう。
注意すべき問題点を最後に記しておこう。それは,こうして推察した後背地の性質は,現在,露出して いるものとは全く異なっていることである。言い換えれば ooid の核を作っている物質は,かつて後背地に “存在していた”ものである。現在は見ることができない。なぜなら,それはすっかり侵食され,運搬されていて,現在は 影も形もない山体なのである。それにも関わらず,現在の基盤岩類とジュラ紀の魚卵状石灰岩形成時代の海浜の砂とに 類似性があることは,この剛塊が大きくて,しかも,その性質が均質であったことを示唆しているのであろう。
Source : Reed (1949)


◇アフリカ大陸東部のジュラ紀古地理図:
ジュラ紀になって,タンザニア東部は海に覆われ,石灰岩などの堆積層が形成されていった。その分布と 岩相の特徴から,同じころの環境を区別して表示することができる。大陸基盤を覆って分布しているジュラ紀の 浅海相には,タンザニアの例ばかりでなく,石灰岩が多産し,また,魚卵状石灰岩があることが多い。 特徴的なこの岩石の分布をしらべて,この時期,アフリカ大陸から,地中海地域にまで,類似の 岩相が発達していたと想像されている。
この図の地中海付近の変動帯地域の海域とあるのは,いわゆる Tethys Sea の海域である。ここには 遠海性の堆積物や重力流堆積物が堆積していた。それらは安定大陸地域に広がっていた海域のものとは,堆積相も化石類も 全く異なっている。いわゆる radiolarite (例えば,Lombardy Basin のヨーロッパアルプスのうちの 南アルプス地帯に産出する岩石)と呼ばれている放散虫化石を含む石灰質〜珪質頁岩層が発達するのも,この地域である。 この対立する堆積相については,次のスイスのジュラ紀石灰岩についての項でもう一度,述べることにする。
Source : Brinkmann und Kroemmelbein (1991)

<スイスのジュラ紀石灰岩>